<第三章 植木頭取時代>
長期政権の弊害(3)
植木頭取からすれば、「頭取就任後5年後に起きた不祥事件以降、二度と事故を起こさないために、厳格な検査の実施と行内研修を通じて事故防止に全力で努めているとの自負」があったが、
「たった一週間の外部研修を受けて人生観が変わりました」
との研修生の発言は、自身のプライドを大きく傷つけられたと感じるものであったと言える。
植木頭取時代が全盛期を迎えるにつれて、頭取の厳格な経営方針とは裏腹に、あの手この手を使って売り込みを図る奸物や、周囲にはいわゆる宦官が傅くようになる。
植木頭取は地銀協の会合に出席するため最低月一回、上京する。その他東京の取引先との会食や海外出張の際、福岡空港を利用する。海峡市の本店から九州自動車道を経由して、頭取専用車のセンチュリーで福岡空港まで行く。東京から本店に帰る時も同様である。
時間調整や本部との連絡をするために、取締役が常駐している福岡支店か、空港近くにある博多支店に寄ることが多かった。
博多支店長の久間康則は植木頭取が取締役東京支店長時代に、営業担当の課長として仕えていた。当時から行員に対して厳しかった植木頭取であったが、なにごとも一所懸命やる部下に対しては、寛大な面も持ち合わせていた。
その植木取締役の性格を見抜いていた久間課長は、外出先から東京支店に戻る場合、営業室に必ず息咳切って駆け込み、
「ただ今戻りました」
と植木支店長に挨拶することを欠かさなかった。他の行員と違う久間の一所懸命な姿勢が評価され、久間は西部県内の小規模支店長に登用された。製袋会社を中核とする小さな町ではあったが、持ち前の馬力で業績を上げ、45才の若さで博多支店長に抜擢されていた。
博多支店は植木頭取との接触のチャンスが多い絶好の支店であった。久間は植木頭取が上京および本部に戻るスケジュールを、抜け目なく秘書を通じて入手した。また福岡支店長が不在かどうかの確認も必ず行なっていた。久間は、植木頭取が立ち寄るという情報が入ると、男子行員数名を事前に信号機のある四つ角に立たせ、頭取来店を手で合図させる体制を取った。支店の駐車場に頭取車が到着する直前に、支店の裏口の戸を開けて深々と礼をして出迎えた。久間支店長のきめ細やかな応対に、植木頭取の覚えは目出度く、後に久間は本店長まで上り詰めることになる。
「この作品はフィクションであり、登場する企業、団体、人物設定等については特定したものでありません」
※記事へのご意見はこちら